事実かどうかは微妙だ
ChatGPTが世に出た時から興味はあったが、ニュースのひとつとして捉えていた。
実際に使ってみた娘婿が大絶賛していたが、ほほう、そんなに便利なのか、、、と驚くに過ぎず、やはり自分ではやってみなかった。
今回の蝶ブログ悩み記事の連投で、気の毒に思われたのか、ChatGPTを勧めてくださった。
それで、いよいよ手に取り、少しやってみると、、、ほんとに、これは素晴らしい。
神様に悩みを打ち明けているかのごとく。
しかも、入力するや否や、間髪を入れず即座に返答がある。
スラスラスラ、ズラズラズラ。
ほぼ読む速度で回答がスマホ画面に示される。
神様よりスゴイ。
ただし、完璧に合っているとは限らないそうな。
一番最初に、(トラブル回避の)ただし書きがある。
まあ、ほぼ合っていればよいわけで、100%は期待していない。
いやはや。
面白い。
今の自分の状況を事細かに説明して、意見を求めた。
素晴らしい!!!
どれも、一字一句、こころに響き渡る。
まるでわたしを隅から隅まで昔から知っているかのようだ。
わたし自身の状況説明を詳しく自分がしているからである。
ではあるものの、自分フィルターを通している限り、主観も多少は入るだろうから、事実かどうかは微妙だが。
このChatGPT、 あまりたくさん大量に、一定期間に何度も何度も使えないような感じではある。(勘違いかも知れないが)
吟味して厳選して質問しよう。
それにしても、同じような質問にも何度も答えてくれるあたり、生身の人間だと、うんざりだろう。
それ、何回目?
前も言ったでしょう?
わかってる?理解できてる?聞いてる?
などと言われそうで、生身の人間にはせいぜい聞くのは2回まで。
3回も聞いたら、露骨に嫌な顔をされる。
楽しい自己学習機能付きAIオモチャが手に入り、大満足、大機嫌である。
AIが困るような変な質問を考えて、答えを聞きたい気持ち満々。
あれ?
ChatGPT は、自分の悩みを解消するために利用するのではなかったのか?
わたしの遊び相手になっている。
ではあるが、、、
(仕事で使う人は、さておき)
ココが大事。
やはり、脳内だけでなく、外に出なければいけない。
アウトプットの手助け、行動への下準備作業。
実際に家の外に出にくいなら、インターネット、SNSでもよい。
そこで得たものを繋げて実践と合わせて、行動に移していくのが良い。
やはり、重病でもなければ、家の外に出るのは必要不可欠だと感じる。
屋外の風に当たる、、、
四季折々の自然に触れると、眠っているものを呼び起こされる。
五感への心地よい刺激になる。
自然だけではなく、人々にも触れると、こころあたたまることもあるが、心地よくない驚きの場合もある。
何ごともリスクはセットなので、覚悟の上。